日大アメフトタックルに見る正義感を振りかざす一般市民

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各種メディアを騒がしている日大アメフトタックル問題が進展。反則タックルを実施した本人による会見が行われ、スタメン人事権を一手に担っていた監督、コーチからの、スタメン確約をちらつかせてながらの指示があったことが明確になった。

ちなみに日大アメフトタックル問題についての過去記事はこちら。

日大アメフトタックル問題に対するアメフト経験者コメントの違和感

日大アメフトタックル問題に見るスポーツマンシップとは

 

この会見に対し、監督、コーチ側からは「反則プレーで怪我させろ、とまでは言っていない」と苦し紛れの言い訳をしてくるかもしれないけど、そして、それは事実かもしれないけど、話された言葉そのものよりも、その文脈や、それがどう受け止められたかの方が重要なことは明らかである。

教育的指導に立つ人が、自分の言動がどう受け止められているか、どう伝わっているか、それも反則してまで相手に怪我をさせるに至るような事態を引き起こす言動だったのかどうかについて、無頓着だった、とか、乖離があった、とかってことですますわけにはいかないだろう。

まぁこれについては、テレビでも日大アメフト部OBや現役選手までもが次々と監督、コーチの普段の言動について言及しているので、もはや言い逃れはできないと思うので、そんな中であとは、監督、コーチ、そして日大の無様な言い訳、言い逃れがどれくらいあるか、ってことになっていくのだろう。

それにしても、今回の日大アメフトタックル問題(監督、コーチの指示があったことが明らかになり、選手が顔と名前を公表したのに同調して殺人タックルという表記がされなくなった)が、ワイドショーのみならず、連日Yahoo!ニュースのトップ記事になるほど各種メディアを騒がせるほどの大ごとになったのってなんでなんだろう?

もちろん、アメフト関係者的には衝撃的なプレーではあるけれども、例えば、アッシが現役の時、関西学院の選手が練習中のぶつかり合いで不幸にも亡くなったこともあるけど、ここまで取り上げられることはなかった。どこかの大学のアメフト部員が強姦罪で捕まった時も、割とさらっとしていた。

勝つためには手段を選ばない、反則まがいの行為、という点では、昨年の夏の甲子園での大阪桐蔭が負けた仙台育英戦が思い出されるが、このときもそれなりにネットではざわついていたけど、テレビではそんなに取り上げられることはなかった。

ちなみに、大阪桐蔭の話というのは、仙台育英のバッターランナーが内野ゴロか何かでの一塁駆け抜け時に、ファースト守備についている選手の足を蹴って怪我させたというプレイ(故意かどうかは分からず、反則ともなっていない)。

その足を蹴った選手というのは実は、その前の試合でも同じようにファーストを守っている選手の足を蹴っていたという事実があり、結局それを恐れたファーストの選手が一塁をちゃんと踏めなかったことがきっかけとなって、春夏連覇のかかってた大阪桐蔭が逆転負けした、ということもあってそれなりにネットでは盛り上がってはいたけれど、今回ほど各種メディアで取り上げられることはなかった。

もちろん、今回のタックルは明らかな反則だったということや、相手が結構な重傷を負ったということ、そして、アメフトというスポーツの根幹を揺るがすプレイであったということはあったと思う。

そもそもアメフトというのは、相手選手を怪我させようと思えばいくらでもさせられるし、それを防ぐことはできない。抑止するために罰則を厳しくしておくことはできるかもしれないが、それでもここまで明らかな反則でなくても、ルール順守を装いながら怪我させることも十分可能なスポーツでもある。

だからこそ、今回の件はアメフトというスポーツの存続にも影響する事件なので、アメフト関係者が敏感に反応するのはわかる。それはわかるけど、アメフトなんて日本でプロ化もされていないマイナースポーツに、なんでこんなに多くの一般の人が食いついたのだろう。

国民感情の潜在的なところに、「ほらみろ、やっぱりアメフトなんて野蛮なスポーツ、なくしたらええねん」みたいな感情があったとは思えない。一般の人からするとアメフトなんてあってもなくても良い程度の関心ごとだったはずだ。

 

ちなみに、この日大アメフトタックル事件がおきるまでは、世間は加計学園問題、森友学園問題、そしてTOKIO山口メンバー問題に注目が集まっていたけど、それらがこれ以上クローズアップされないように、隠れ蓑に使われたという側面もひょっとしたらあるのかもしれない。

ただ、それ以上に、加計学園問題も森友学園問題も、なんとなく問題であることはわかるけど、これといった決定打がなく、関係者も多岐にわたっていて一般人には構造がよくわからない。けど、なんかおかしいことが起きている、みたいなもやもやしたうっぷんがあったり、

山口メンバー問題も大きな問題ではあるものの、山口メンバー個人が悪いのは明らかであり、謝罪もし、社会的制裁も受けているのでこれ以上批判してもただの弱いものイジメになるということもあったりで、

なんか一般市民にとってはムクムクと湧きあがる感情はあるものの、その発露が無いという状態だったのではないだろうか。

そんな中で起きた日大アメフトタックル事件は、対象が学生ということもあり、一般市民にとってはちょっと上から目線で見れる、格好の正義感の振りかざし先だったような気がする。

そしてこの事件は、実はスポーツのみならず、ビジネスの場にもはびこる勝利至上主義(売上市場主義)による息苦しさに対する息抜き的要素もあり、またAIがはびころうとする世に対する、正義感という人間性の復権の狼煙とも捉えられるのではないかと感じているのだが、そのあたりはまた別の機会に書こうと思う。

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