友達との関係で、何かをやってしまったとき。
例えば、友達に借りていた本を破ってしまった。
友達との約束をすっぽかしてしまった。
友達に口汚い言葉を放ってしまった・・・
こんなとき、 「ごめんごめん。まぁ友達やん、許してよ」 といった類の言葉を言うこととか聞くことがあると思うけど、これ、何か違和感があるんだよな。
恩着せがましいというか。
勝手な時だけ友達づらするなよ的な。
まぁ友達っていう概念がフェイスブック以前フェイスブック以後で変わってしまったので 親友に置き換えてみるとよりクリアになるんだけど、
(ちなみに、どうでもいいけどフェイスブックに親友申請とかはないな。)
「ごめんごめん。まぁ親友やん、許してよ」って、親友には絶対に言わないし、そんなこと言ってくる奴は親友じゃない、と感じてしまう。
(ジャイアンっぽいな。おい、のび太、俺たち友達だろ!的な)
で、この違和感の背後にあるのは何だろうと探索してみると、 もちろん、たとえ親友であっても、 借りた本を破ってしまうことや、約束をすっぽかしてしまうこと、時には勢い余って口汚い言葉を発してしまうこともあるだろう。
そして、ふと我に返って謝る。
「ごめんごめん。そんなつもりはなかってん」と。
で、受け手が、「ん〜、もう、、、 、、、まぁええよ」
(ことの重大さによって、ん〜、もう、、、の時間が数秒のこともあれば、数年かかることもあるだろうが)これで終わりなのである。
これで終わりになる心と心の関係を人は親友と呼ぶのである。
仲が良いから許すのではなく、何かあったときにも許せる心の関係性を仲が良い(親友)と言うのである。
何かあった時にも許しあえる心の関係性を大切にしたいものです。
ふと、数年前、親友に貸した本がボロボロになって返ってきたことを思い出して綴ってみました(本人曰く、ズボンの尻ポケットに入れてジョギングをしていたそうで。) ちなみに、その本は、夏目漱石「こころ」。
ということでお後がよろしいようで。