ダウンタウンのガキの使いやあらへんで笑ってはいけないトレジャーハンターの面白かったシーンについては先日書きましたが、
別にめちゃめちゃ面白かったわけじゃないけども、頭に残ると言うか、ついつい言ってみたくなるので口に残るとでも言いましょうか、
それが、 立川志らくが、スピードワゴンの井戸田扮するハンバーグ師匠に扮して叫ぶ、
「俺だよ!志らくバーグだよ!!」
なんかすごく叫び甲斐のあるフレーズなんだよなぁ。
ことあるごとについつい叫んじゃう(もちろん家で)。
立川志らくといえば、M-1グランプリの審査員くらいしかみたことはなかったけど、その時の印象は、静かながらもニヒリズムというか。
けど結構鋭いことを言う、みたいな印象だった。
そのM-1グランプリ。
今年(というか2018年)を少し振り返りると、 2018年のM-1グランプリといえば、なんといっても終了後のとろサーモン久保田、スーパーマラドーナ武智による上沼恵美子批判が話題を呼びましたが、
これ、いろんな芸能人やコメンテーターがコメント出していたけど、 多かったのは、「上沼さんは大御所やで」とか「審査員引き受けるって大変なんやで」とか「審査員を批判するって言うのは番組を批判するってことや」とか「松っちゃんにも失礼や」みたいな論調。
あと、「個人的にどういう感情持ってもええけど、それをSNSで公表するのはあかんわ」とか「そもそもM-1の出場制限を結成10年までに戻さなあかん」というのもあった。
島田紳助引退に伴う休止後を経て、今は結成15年まで出場OKということになっているようで、それやともはや新人ではない、ということみたい。
だから、審査員批判も出てくると。
まぁ、笑い飯も、アンタッチャブルも、フットボールアワーも、ブラックマヨネーズも、チュートリアルも、サンドイッチマンも、今までほとんど見たこともなかったようなコンビが綺羅星のごとく現れて一躍おもろ芸人として登りつめて行く、というのが醍醐味でもあったから、結成を10年に戻すっていうのはありやと思う。
とはいえ、今回の(いや、今回も)上沼恵美子の審査コメントはひどかったと思うけど。個人の主観で審査するのはええと思うのよ。客観的な基準なんてないんだから。
けどね、好き、嫌いって言うたらあかんと思うねんなぁ。おもろいかどうかでしょ。基準は。自分がおもろいと思ったかどうか、それだけを基準にしてほしいけどねぇ。
まぁ上沼恵美子の場合は、おもろいかどうかが、表現としては好きかどうかになったってことかもしれないけど、なんかええ歳こいたおばはんがビジュアルで評価しとるんちゃうか、っていう誤解は招いたと思うけどなぁ。
そういう意味で、ジャルジャルの国名分けっこ、おもろいけど、これが漫才なのか?みたいな巨人師匠のコメントがあったけど、これもナンセンス。
漫才かどうかの詳細の定義なんか無いわけやし、紳助竜介もダウンタウンもツービートも笑い飯も、過去の枠組みをぶち壊してきたわけなんやし。
優勝した霜降り明星のネタについても、ボケのせいやがネタ中、ステージを所狭しと暴れまわるわけだけど、ネタ終わりがマイクの前じゃなくてステージのすみで終わったことで、ネット上では、漫才としてどうなん?的なことが言われたりもしてるみたいやけど。
センターマイク一本だけを使って、おもろかったらそれでええやん、って思うけどなぁ。