未来のシナリオは議論するものではなく、妄想するもの

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スマホが誕生して10年がたった。

今や生活に欠かせないデバイス(10年前はデバイスなんて言い方も一般的ではなかった)になったけど、10年以上前にスマホの構想を話しても、誰もがポカーンだったろう。

「手のひらサイズで使えるパソコンでさ~。

あ、パソコンってのはインターネットにつながるんだけど、

あ、インターネットっていうのは仮想空間でさぁ~、

で、もちろんこの手のひらサイズで使えるパソコンで電話もできるし、

あと、アプリっていうのがあってさ~、指先でゲームとかメールとかいろいろできるわけよ」

 

「???」

そもそも家の固定式電話(通称:イエデン)しかなかった時代に、携帯電話がこんなに普及するなんてだれも想像できなかっただろうし、

ダイヤル式電話(ギーコ、ギーコってダイヤルを1番ずつ回すやつ、通称:クロデン(黒電) ダイヤル式電話って初期のころは黒色しかなかったはずなのに、わざわざクロデンって呼んでいた)もない時代に、プッシュホン、ましてやコードレスフォンなんて想像できなかっただろう。

さらに言えば、そもそも手紙が当たり前だった時代に、遠く離れた人と電話で生声がやり取りできるとか、手で書いた文字が一瞬で届くFAXなんてのは一部の人の妄想でしかなかっただろう。

テレビも車もペットボトルの水も、例を上げればキリがないけど、未来の当たり前なんて、誰にも想像できない。厳密に言えば、想像はできるかもしれないけど、それは空想や妄想でしかない。

なのに、未来のシナリオを考えようとか、未来を見据えたイノベーションを考えようとかっていう胡散臭い話がよくあるけど、これって「みんなで未来を妄想しよう」ってことだと思う。

例えば、人口構造の変化みたいなものは確実性が高いから、人口減から考えることは妄想なんかではない、と言うかもしれないけど、

これだって、将来、いきなり出生率が爆発的に増える可能性はあるし、移民を日本国民と数えるようになる可能性もあるし、もっと言えば、AIを積んだコピーロボットがヒトとして数えられるようになるかもしれない。

テクノロジーが進めば、誰もが分身ができるようになって、旧来の一人当たりが2倍にカウントされるようになるかもしれない。とかとか。

今当たり前の多くのことも、昔はただの空想から始まったとすると、あながち無いとは言い切れないはず。

だから、真剣に、未来シナリオとか、未来に向けたイノベーションを考えようとするならば、んなアホな、って思う、今の常識からすると非常識はなはだしい妄想、空想を扱わなければならない。

けど、なかなか非常識なことって受け入れるのが難しいから、結局、今の常識の延長線上でしか考えられず、イノベーションも考えられない、ってことになってしまいがち。
そもそも、未来の想像なんて無数にできるわけで、その中で何が有用か、何が当たり前になっていくのかなんて今の常識では判断できない、という立場に立つべきだ。

未来を議論する時は、全ての判断を保留しなければいけない。全ての妄想は等しく起こりうる可能性がある。

なので、「未来を議論する」という表現自体がおかしい。未来は議論するものではなく、妄想するものだ。

とすると、
未来においては、産まれる前から将来何歳でどんな病気にかかるか、が明らかになり、産まれる前から何か手を打つのか、自然にまかせるのかを選べるような世の中になっていても何の不思議もないのであります。

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