Facebookの誕生日機能とメッセージハラスメント

Facebookの誕生日機能って何なんやろうってずっと思っていた。

数年前のことになるが、後輩が、普段特にやりとりがあるわけでもないのに誕生日のときだけFacebook上でおめでとうと送り合うのがさむいと。

だから自分は誕生日を非公開にしてる、ということを言っているのを聞いて、まさにその通り、と思った。

それ以来アッシも、自分の誕生日をFacebookで非公開にした。

とはいえ、大半の人は誕生日を公開にしているので、タイムライン上では、「おめでとう〜」の裏さぶいコメントの送り合いが繰り広げられている。

これ、何がさぶいかって、おめでとうっていう、かっるーい言葉だけを交わすのもそうなんだけど、そもそも、お前、絶対、そいつの誕生日覚えてへんやん、っていうのが見え見えでさむい。

すっごい仲のいい友達がいると。 で、親の誕生日は忘れても、そいつの誕生日は忘れへん、くらいにそいつの誕生日のことを常日頃から意識していると。

ようやく半年経ったな、あと半年したらあいつの誕生日やと。 あと3ヶ月、あと2ヶ月、あと1ヶ月、そろそろプレゼントも買わな、あ、あと1週間、あと3日、もう明日や、 12時回った〜、誕生日おめでとう!!!

みたいなテンションやったらわかるよ。

けど、Facebook上で誕生日おめでとうを送りあっている99%以上の人がそうじゃないやん。

Facebookの通知機能的なものから、「今日は○○さんの誕生日です。ぜひメッセージを」みたいな通知がきて、 あ、あいつ今日誕生日なんや。ほな、”おめでとう”しとこ。くらいやん。

だからさぶいねん。

それやったら、もう、「友達の誕生日には”おめでとう”を自動送信する」機能をつけたらええやん。

っていうか、この、Facebookからの「今日は○○さんの誕生日です。ぜひメッセージを」みたいな通知が、一種の脅迫みたいに感じるのよね。

え、あの人誕生日ですよ、メッセージ出さないんですか?みたいな。 もう誕生日ハラスメントというか、誕生日にメッセージ送れよハラスメント、略してタメハラですわ。

で、このFacebook上で誕生日おめでとうを送り合うさぶさって、年賀状がどんどん、LINEやらメールやらに置き換わっているのと同じさぶさがある。

あけおめメール、あけおめLINEなんて、送る必要あるの?

年賀状の趣ってそういうこっちゃないやん。

年賀状出さな。誰に出すか。あいつには出しとこう。あの人はもうええか。いや、けど絶対来そうやし。今年で年賀状やめたら一生連絡とることもないやろうな。あ、去年、この人もくれてるやん。出すかぁ。どうしよう。 みたいなところに年賀状の趣ってあるんだと思う。

そして、いざ出す人を決めたら決めたで、何て書こうか。テンプレートの表現だけだと寂しいから、一文でも何か書こう。どうしよう。 みたいなところが、年賀状の最大の醍醐味でしょう。

そして、結局何を書いたかも忘れてしまうという。

それが、あけおめメール、あけおめラインでデジタル化されたら、一気に趣がなくなるよね。

これも、「1月1日0時に、友達にあけおめLINEを自動送信する」機能をつけたらええだけやん。

っていうか、もうそういう機能つけてる奴がおるかもせえへん(怖っ)。

いやいや、なにをおっさんが古臭いこと言っとんねん、って言われるかもしれないけど、 AIに仕事の50%が奪われる!みたいなことって、結局、こういう人間の趣をどんどん無くしていって、楽な方へ楽な方へ、自動化な方へ自動化な方へ、あえてそっちに向かっていっていることのしっぺ返しなだけやと思うのよね。

まぁ、行き過ぎたデジタルとか機械化、自動化は絶対に揺れ戻しが来るはずだとアッシは信じているし、遠くない将来、人間復興、ルネッサンス2.0みたいなことが言われるはずなので、その時にそなえて、古臭いおっさんとして人間の趣を大事にしとこ、という思いを改めて強めているんだけど、

で、話をFacebookの誕生日設定に戻すと、 先日、アッシは誕生日を迎えたのですが、Facebookで誕生日を公開していた頃には来ていた「おめでとう」メッセージは当然ゼロで、 家族からだけ祝ってもらいました。

けど、これでいいんです。誕生日は家族で祝うものなんです。だってそもそも誕生そのものは、家族しか知らないことなんだから。

とはいえ、前日から、 「そうかぁ、アッシももう○○歳かぁ〜」 「あ、そうね。明日誕生日だもんね」 的な会話を家族でし、おめでとうを言ってもらう伏線を張っていたのは言うまでもない。