パチンコが合法である根拠とそれをどう教育するか

よっぽど田舎じゃない限り、大抵の駅前にはパチンコ店があるけど、これって普通に考えるとおかしい。ギャンブルや賭博はNG、違法だと言っておきながら普通に街中にあるって。

パチンコは厳密には賭博じゃない?いやいや明らかにギャンブルでしょ。お金でパチンコ玉を買って、ゲームでパチンコ玉を増やして、増えたパチンコ玉で特殊景品を得て、その特殊景品をすぐ隣で売ってお金に変えるわけだから。

まぁ競馬もボートレースも宝くじもギャンブルなわけだけど、その中でもパチンコが一番ひどいのは、街の景観を台無しにしていることと、普通に生活エリアにあるってことだろうな。小学生がパチンコ屋の前通って通学してるからな。

ちなみに、宝くじもバンバンCMしているし、普通に街中で販売もしているし、ニュースで取り上げられたりもするから同じくらい性質が悪いかもしれないけど。

こうやってパチンコを目の敵にすると、いやいや、パチンコで救われている人もいるねんから、みたいなことを言う人もいるけど、アホかと。パチンコで救ってたらあかんやろ。もっと健全なもので救わないと。

先日、子供と一緒に夏休みの自由工作でパチンコを作った。お祭りの屋台にあるような、レバーを引いてボールを弾き飛ばして、釘に導かれながらボールを穴に入れていくようなやつで、縦横3×3の穴が開いていてビンゴを狙って遊ぶ。

土台はスーパーでもらった段ボールに、レバーはプリングルスの空き容器、球はピンポン玉。釘の代わりにつまようじ、土台を支える足は500mlペットボトルを切ったものと家にあるものだけで作った。

レバーのはねっ返りを輪ゴムで工夫したり、飛び出したピンポンがうまく全面に行きわたるように盤面にアーチをつけたり、足の長さを変えることで盤面の微妙な角度調整をしたりと、作る作業自体も楽しかったが、完成品で遊ぶのがこれまた楽しい。

ほんっと単純なつくりではあるものの、狙ったところにボールを入れるための技量というか読みが求められる。

パチンコももともとはこういう遊びだったんだろうな。的屋側の仕掛けに対してどう狙っていくのかという人と人の勝負があったと思うんだよな。それがデジパチと呼ばれる電子制御になってからおかしくなったんだと思う。穴に球を入れる技量を競う楽しみから、運任せの電子制御で絵柄が揃う楽しみに変わって、ただの脊髄反射もの、ただのあぶく銭稼ぎになっちゃったんだろうな。

癒着やらなんやらの裏のお金が動いているのはアホでも分かるからパチンコ屋を無くすことはできないだろうけど、客がいなくなれば無くなるのだから、行かなければいいだけだけなんだけど。まぁそれでもパチンコが好きな人はいるだろうし、それをとやかく言う筋合いもない。

問題は、パチンコ屋が存在することやパチンコ好きな人ではなく、パチンコ屋を賭博じゃないものと見なしている教育ってことだと思う。

もちろん法律的には賭博じゃないし、一方で日本は法治国家だみたいなことを教えているわけだから、その観点からみたらパチンコは賭博じゃないということにはなるんだけど、「法律的には賭博じゃないっていうことにはなっているけど実質的にやっていることは賭け事です」という教育をしないといけないんじゃないかな。

まぁ、そんなこと言うと、保護者がパチンコ関係に務めている人もいるから、ってなるんだろうけど。だから、「パチンコは法律的には問題ではない、だから働くのも問題ない。ただ、遊ぶ人はそれを賭け事として遊んでいる。」っていうのが正しいのかな。