プラモデルから学ぶ人生を幸せに生きるためのヒント

Pocket

小学生の頃、親にプラモデルを買ってもらって作るのが好きだった。

ガンダム系が多かったかな。

1年生とか2年生の頃は、部品を切り離すときに、差し込み用として残すべきツメの部分をまちがって切ってしまったり、パーツのツメとパーツの凹みをくっつける際に、間違ったパーツ同士をくっつけてしまって外せなくなったりしないように、父親に作ってもらっていた。

僕に残された作業はパーツにシールを貼ることくらい。シールならたとえ貼り間違えても、できあがりのフォルムに大した影響は与えないということで。逆を言えば、完成形に大して影響を与えない作業のはずなのに、子供ながらに喜んでシールを貼っていた。

フィギュアではなくプラモデルを買うことの意味は、作る行為にこそあるはずで、子供の頃の僕は作る行為には大して参加していなかったけど、父親が、番号の振られたパーツのプラ板をパーツごとに切り離し、フォルムとして組み合わせていく作業を横で眺めているのが好きだった。

できあがったプラモデルは、できたてこそ喜んでポーズチェンジ等をして遊び、机にも飾っていたが、そのうち興味をなくし、箱の中にしまわれ、その後遊ぶことはほとんどなかった。

それでも、プラモデルは定期的に買ってもらっていて、高学年になると自分でプラモデルを作るようにもなった。

作る行為こそが楽しいんだから、じっくり、ゆっくり作ればいいのに、なぜか作っている時は、早く完成させたいという一心で作っていた。できあがれば、低学年の時と同じで、少しの間は満足感を味わうものの、そのうちその満足感も焼失し、箱の中にしまわれる。

傍から見れば、でき上がれば興味を失うことが分かっているのに急いで作っている光景はなんとも不可思議な光景だっただろう。

本人はただただ仕上がりの完成形だけを目指している。プロセスを楽しむなんて気持ちは毛頭ない。完成させることにこそ意味があると思いこんでいる。

今思えば、作るために要するエネルギー(時間や労力)と、出来上がりから得られる効用は比例するのかもしれないな。そして、今なら、じっくり、ゆっくりとプラモデルを作る自信がある。丁寧に丁寧に細部にこだわりながら、プラモデルを組み立てるというプロセスを最大限楽しめるだろう。
結果ではなく、プロセスを楽しめる、って幸せな生き方に通じるんだろうな。

Pocket