才能やセンスという言葉で片付けることの是非

センスが良い悪いとか、才能があるない、という言い方を耳にする。

同じように教えてできる人とできない人、少しの努力でできる人とできない人の差を、センスが良い悪い、才能があるないと呼んでいる。

教える側から見ると、どれだけ教えてもいつまでたってもできない人に、センスが悪いとか才能がないと言うのは簡単だ。けど、それは、教える側が、自分には教えるということができないと言っているのと同じではないか。自分の教える能力を棚に上げて、受け手側のセンスとか才能という、あやふやなものに逃げているだけではないか。

教えるという観点で考えたときに重要なのは、センスが悪い人、才能がない人こそをできるようにすることではないか。センスが良い人とか才能がある人は、大して教えなくてもできるのだから。

なかなか教えてもできない、教えるのに骨が折れる人をできるようにできるようにすることにこそ、教えるということの意味があるのだと思う。

と考えると、安易にセンスが悪いとか才能がないという言葉は使いたくない。

ただ、一方で、受け手側からすると、センスが悪いとか才能がないと言ってもらった方が、実は幸せだったりもする。

センスの問題じゃない、才能の問題じゃないとするならば、受け手側からすると残るは努力の問題になる。努力が足りないからできないのだと受け止めてしまう。これはこれでキツイ。世の中には努力だけでは越えられない壁があるからだ。センスが悪い、才能がないと言われる方がよっぽど楽かもしれない。

努力で超えられる壁なのかどうかを見極めるのもセンスの問題かもしれないけど・・・