ウォシュレットの掃除よりも二度拭きしない男気

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ウォシュレットが好きだ。

 

田舎生まれ、田舎育ちのアッシの実家は、ボットン便所だった。

下を見下ろすと、どこまでも続いているかのような真っ暗闇が続くボットン便所。

スリッパを落とそうものなら、二度と戻ってくることはないボットン便所。

それなのに、落ちるか落ちないか、真っ暗闇の上でスリッパをプラプラとギリギリの勝負を挑みたくなるボットン便所。

そしてスリッパを落とそうものなら、「何回言わせるの!なんで落とすことあるんや!遊んでるからやろうが!」と怒られるボットン便所。

月に1回は汲み取り屋と呼ばれるバキュームカーがボットンされた有象無象を吸い取りにくるボットン便所。

そのバキュームカーが臭いのなんの。そんなこともお構い無しに、朝の平穏な日常を切り裂かれるボットン便所。

その臭いから数軒先にきているのがわかるバキュームカー。この臭いが漂ってくると一気に臨戦態勢になるボットン便所。

いつもは喧嘩がちの母と祖母が協力して、洗面台からホースをつなぎ、ここぞとばかりに便器を洗い流す準備をし、バキュームカーの到着を待つボットン便所。

到着するや否や、お勝手口を開け、おっさんの「きたでぇ〜〜〜!!!」「いくでぇ〜〜〜!!!」の掛け声とともに、一気に、マンホールの蓋を開け、ホースを突っ込み、バキュームされるボットン便所。

その威勢に負けないくらい、「出して〜〜〜!!」と叫びながら、母と祖母が協力して洗面からホースで水を出し、便器を洗い流すボットン便所。

朝食中だろうが、洗濯中だろうが、お構い無しで、バキュームカーのおっさんと、母、祖母との連携プレイが繰り広げられるボットン便所。

運悪く、祖母がでかけているときは、人手として駆り出されてしまうボットン便所。

「おぅ、落とし物や〜」とバキュームカーおっさんに、週間前に落とした有象無象まみれのスリッパを手渡されるボットン便所。

バキュームカーの臭いという物理的なダメージに加え、当時、水洗トイレの普及が急速に進む中で、「バキュームカーが来ている=あいつの家まだボットン便所やで」という精神的ダメージも大きかったボットン便所。

 

そんなボットン便所で幼少期〜多感な中学、高校生時期を過ごしたアッシであるが、いつからかウォシュレットなるものに、心も体もお尻も奪われてしまった。

はじめてウォシュレットを使用した時のことを覚えているわけではないが、いつからか、ウォシュレットのないトイレは、もはやトイレと呼びたくない境地になっている。

ウォシュレットの水を吹き出す棒には、赤の他人のお尻を洗った跳ね返り水がかかっていて実は汚い、みたいなことを言われたりもするけど、御構い無しですわ。

そんなウォシュレッ党のアッシが、ウォシュレットを使用するときに一つ決めている男気流儀が存在する。

それが、

二度拭きしない

である。

汚い話になるが、たいていの人の場合、大を用し、紙で何度か拭いた後、最後に拭いたその紙を目視するのではないだろうか。きれいに拭けているかどうか、お尻に忘れ物が残っていないかを確認するために。

それはウォシュレットを使った後も同じであろう。

用を足す、ウォシュレットで洗う、紙で拭く、ちゃんと洗えているかその紙を目視する。というのが一般的な流れだと思う。

で、たいていの場合、というかほぼ毎回、きれいに洗えている。残り物がついているなんてことはほっとんどない。それでもごくたま〜に、白いはずのトイレットペーパーにかすかに色味を感じる時がある。

で、それを見たら、それがいかにかすかな色合いであろうとも、もう一回洗わないわけにはいかないじゃないですか。

で、もう一回ウォシュレットのボタンを押す、数秒後、ウィーンといいながら棒が出る、さらに数秒後、水が噴き出して洗ってくれるわけだけも、

実は、さっき拭いたトイレットペーパーについたかすかなものがラストの残り物で、もうお尻には何も残っていない可能性も高い。何も残っていないお尻を改めて数秒かけて洗っているという可能性。

何を無駄な時間を過ごしているんだろう。何を無駄な水を使っているんだろう。

そして、さらに濡れたお尻を拭くために何を無駄な紙を使っているんだろう。

 

だから、アッシは見ないことにしたんです。1回目に拭いた後に。

いいんです、それで何かついていようとも。

だって、パンツは何のために履くのか。それはズボンに汚れがつかないためなんですよ。だから、パンツは汚れてもいいんです。

車のバンパーはボディを守るためについているんです。だからバンパーは傷ついてもいいんです。と同じ考えですね。

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