電通の新人女性が過労のあまり自殺した事件を、電通だけの問題ではなく、広告業界が業界として抱えている構造的な問題と指摘する言説をいくつか見かけた。その中でも、元電通のコピーライター【月刊ショータ】のブログ(「広告業界という無法地帯」)が広告業界関係者の気持ちをうまく代弁しているともっぱらの評判のようだ。
主だったところを抜粋すると、
電通の社員に灰皿を投げつける人、ボケカス無能と大声で面罵する人、そうやって高給取りの電通社員を足蹴にして悦に入るような人間が、日本のあちこちの企業にいる
(中略)
撮影済みで、編集も最終段階にかかろうかというテレビCMに対し、打合せにもいなかったエライさんが急に「気に喰わん。やり直せ」と言ってくる。エライさん本人が言ってくるなら、弁の立つ営業ないしクリエーティブ・ディレクターなら、論理的説明、泣き落とし、詭弁、逆ギレ、屁理屈などなどあらゆる手を使って説得するかもしれない。しかし、現れもせずに部下にそう命じる卑怯者に打つ手はないのだ。
(中略)
恐ろしいのは電通でもNHKでも安倍政権でもない。どこにでもいる普通の人たちだ。自分の存在意義を誇示するがために、他人の時間を奪うエライさんだ。自分の身がかわいくて、上司からの無理難題をそのまま下請けに押し付けるサラリーマンだ。それを唯唯諾々と飲み込んで徹夜してしまう労働者たちだ。
というもの。
要は、下請け会社に、金曜日の夜に、月曜の朝までにお願いね、という依頼をする世の中の大勢のサラリーマンこそが諸悪の根源だ、という主張である。
そもそも、なぜ月曜日の朝に必要になる状況が起きるのかを考えると、受注側が何かしらのミスをしてしまったということもあるかもしれないけど、多くは発注側の勝手なスケジュール引きが原因になっているのだろう。月曜朝に役員会があるからとか、もう小売りに発売日を言っちゃったから今更変えられないとか。
そんな身勝手な理由で無理難題を押し付ける発注側に問題がある、というこの主張には一定の説得力はあるとは思うけど、なんか腑に落ちないところもある。もちろん、そんな無茶なことを発注する方は悪いとは思うんだけど、それを受けちゃう方も悪いと思うんだよな。で、これは広告業界に限ったことではないとも思う。
やっぱり無理なものは無理と言わないと。そんな仕事だったら要りませんと言わないと。
なぜ無理なことを無理と言えないのか。無理と言うと仕事がこなくなるからだ。なぜ無理と言うと仕事がこなくなるのか。それは、無理をやるくらいの価値しかないと思われているからだ。だったら解決策は無理なことを死ぬ気でやることじゃない。「あいつは無理なことは無理と言ってくる、生意気な奴だ。けど、あいつに頼みたい」そう思わせるだけの価値を必死で生み出すことのはずだ。