企画書資料を美しく仕上げるためのただ一つのコツおよび心構え

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仕事柄いろいろな人が作った資料を見る機会が多い。

中身はもちろんのこと、それ以前で見る気が無くなるものも多い。つらつらつらつら文字だらけのものとか、こまか~い数字だらけのものとか、センスのないイラストが多用されているものとか。いずれも中身を吟味する前に見る気が殺がれる。

見た目に凝る前に中身をちゃんとしろ!という教育はもちろん正しいとは思うのだけど、中身がちゃんとしていても見た目がダメだと半分も伝わらないというのもまた事実。

ワチキの感覚では、見やすい資料っていうのはパッと見で言いたいことが目に飛び込んできて、一枚あたりの情報量がコンパクトなもの。そのためには大胆に級数差を使わないといけない。少なくとも10ptくらい級数差はつけないと。伝えたいことだけを大きく、それ以外は全て補足情報扱いに。その資料にめちゃめちゃ興味がある人以外は補足情報まで集中して読まないんだから。とりあえず見出しだけでも意味が通じるようにしないと。これって企画書でもレポートでも同じだと思う。

ただ、パッと見で伝わるような資料になればなるほど逆に中身の巧拙がモロばれになるというもろ刃の剣でもある。全然論理的じゃないとか、先ほどの指摘はなんだったのか?とかが一目瞭然となってしまう。

けど言いたいことはパッと分かるから、指摘はしやすいからストレスが少なくて良いんだよな。逆に見にくい資料って、そもそもそれを解読するのにストレスが大。で、まだ中身が伴っていたら良いけど、それで中身もトンチンカンだとほんと最悪なんだよね。

それにしても見にくい資料を作る人って、自分では見やすいと思っているのかな。もし、自分では見やすいと思っているのならその美的感覚を矯正しないといけないから道のりは遠いだろうなぁ。実は自分でも見やすいとは思っていませんでして・・・みたい人の方が改善する見込みは高いだろうな。

見やすい、分かりやすい資料ってもちろん人に見せるためのものだから、っていうのはあるけど自己満足的な要素も大いにあるけどなぁ。見やすく、分かりやすく、美しく仕上げることにやりがいを感じる、というか。逆にそこにやりがいを感じられるようにならないといつまでたっても美しい仕上がりはできないかもな。

美しいモノを仕上げようとするのって、なんか丁寧に生きる、みたいなことにつながっている気もする。別に美しくても美しくなくても結果は一緒かもしれないけど、その美しさにこだわれる人になりたいと思うのであります。

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