君の膵臓を食べたい
なんちゅうタイトル。ホラーものか?
本書との出会いは、全国書店員が選んだいちばん!売りたい本、「本屋大賞」。
2016年に2位に選ばれたことで、結構本屋さんで平積みにされていた。
本屋大賞については賛否両論あるみたいだけど、基本コンセプトには共感するし、書店員が選んだ本はやっぱり気になる。上位作品については裏表紙くらいは目を通す。
で、「君の膵臓を食べたい」
タイトルに反しての、ラノベタッチな表紙も気になって裏表紙を読むと、
(前略)彼女の余命が膵臓の病気により、もういくばくもないと書かれていて-。読後、きっとこのタイトルに涙する。(後略)
の一文。
病気に侵された彼女の膵臓を食べてやりたいって思うくらいの熱いラブロマンスが繰り広げられるってことだろうと、多少の興味は持つものの、まぁ文庫本で出たら買おうかなと。
で、最近映画化が決まったみたいで、文庫本も発売され、いよいよ本屋でも盛り上がっている。
「ラストは涙涙涙。でも読後の爽快感は格別です。」
「タイトルに惑わされてないように!!ボロボロ泣きました。二度読みして欲しい!」
などなど。
というわけで、読んでみました。
濃縮100%青春、純愛。
青二才ならではの、勘違い、思い込み、的外れ、すれ違い、もどかしさ、そしてとめどない自意識。
酸いも甘いも噛み分ける大人から見ると、当時の自分もそんなだったのかもしれない。
けど、自分の青春の純愛さ加減は、その当時は当事者まっ只中なので自分では気づけないし、今、大人になって過去を振り返ってみても、やっぱり当事者としての記憶しかないから、第三者的な視点で思い返すことはできない。
けど、きっと当時の自分もそうだったのだと思う。
今の若い、青春まっ只中のカップルもそうなのだろう。
そして、全ての大人が、そういう時期を過ごしているのだろう。
ただし、全ての人が、自分の青春、純愛を客観的に認識することはできない。
青春、純愛とは、まさに青春、純愛に没頭している一種の錯乱状態だからだ。
客観的に認識した時点で青春、純愛の魔法は解け、ただの純愛風青春ごっこに堕してしまう。
本書は、そんな青春、純愛を濃縮した形で疑似的に味わえる1冊。
余命いくばくという重い設定ながらも、それを感じさせずにサクサク読める。
ただ、この作者、多分、これが一番おもしろいっていうか、同じような青春、純愛モノではこれを超える本はもう書けないだろうな。
新しいお話を書いても、どうしても、読み手は勝手にこの登場人物たちのサイドストーリーやその後を妄想して、
その、妄想だからこそ、形にはなっていないけどめっちゃ面白いはず!という期待に満ちているストーリーと新しいお話を比べながら読んでしまい、新しいお話には100%は没頭できないだろう。
新作の「また、同じ夢を見ていた」は青春、純愛とは違うみたいだから、多少興味はあるけど。
「君の膵臓を食べたい」の映画化はダメだろうな。
この本の面白さは、登場人物の内面にこそあり、小説だとト書きで伝えられるけど、映画にすると副音声みたいになるから、一気にコメディタッチになると思うんだよな。
まぁそれはそれでヒットするかもしれないけど。