若手が陥る罠を見つけました。その名も「オレオレ主義」。オレオレ主義をどう手放せるか、について書いてみます。
一緒に仕事をしている若手の考え方や思考プロセス、ひいてはモチベーションのありかがどうにも良くわからない。
依頼に対して上げてきたモノも、どうにもピントがずれている。
で、それを指摘しても分かったような分かっていないような顔をしている。
いろいろ投げかけると一応は自分なりの論を展開するのだが、どの角度からの質問にも同じ論しか繰り返すことができず、その論自体もまたどうにもピントがずれている。
ピントがずれていることを丁寧に説明すると、また、分かったような分かっていないような顔と生返事。
別に生意気なわけでもなくて、ただただピントがずれているだけなのだけど、そのピントのずれを認識しようとしない。
百歩、いや一万歩ゆずって、
いやいやこれは世代差でっせ。あんたらみたいなおっさんのいうこと自体がピントがずれてるんでっせ、っていうことがあるかもしれない。
そんなことは絶対にないのだけど、もし、もし万が一、億が一おっさんのピントがずれているということだったとしても、それでも、年長者のアドバイスはありがたく聞く耳を持たないと。それを鵜呑みにする必要は全くないけど、まずは一旦聞かないと。で、どこがずれているのか、を自分なりに理解しないと。
そうすることもなく、ただただ、分かったような分かっていないような顔をしている。
これこそが、若手が陥りがちな罠、「オレオレ主義」ですね。
自分が正しい、という考えをうちはずせない症候群。
その背後にあるのは、自分なりの成功体験に裏付けされたちっぽけなプライドであり、さらにその背後にあるのは、そのちっぽけなプライドを手放すことへの恐れであろう。
そんなちっぽけなプライドは早く手放さないと。
本当にそれが大事な、人生の根幹をなすようなプライドであるならば、一旦手放したところで、それは絶対に帰ってくるから。もっと大きく、もっと強固なプライドとなって。
だからまずは一旦「手放し」てみよう。
そうすることで、ようやく「素直に聞き入れる」準備が整うと思のであります。
そんなオレオレ主義から抜け出すための、ちっぽけなプライドを手放すための処方箋を2つ。
1.何かあるんじゃないか?という好奇心を持つ
全ての発言に対して、何か意味があるんじゃないか?という姿勢で望もう。
特に自分に対して何かを指摘してくれている、ということは、的外れな指摘かもしれないが、きっとそこには何か意味があるはず。それを100%受け入れるかどうかを判断するのはその後のことで、まずは一旦聞き入れよう。
もっというと、どんなことに対しても何か意味があるんじゃないか?何かあるんじゃないか?と考え続ける癖をつけ、どんなことに対しても自ら積極的に何らかの意味を見出すことができるようになれば、きっと世界は広がる。
2.自分の考えだけじゃないんじゃないか?という、疑いの目。
2つめは自分に対する疑いの目を持つこと。
これで本当にいいのか?これで伝わるか?相手は思い通りに受け止めるか?
自分を信じない。自分を疑う。
そのためには、他者の目になってチェックするのも有効。初めて聞く人の立場になった時にどう感じるか。
話し手の都合のいい解釈をしてもらうことを勝手に期待していないか。
と、こんなところをオレオレ主義から抜け出すための、ちっぽけなプライドを手放すための処方箋として整理してみたものの、
はてはて、このアドバイスをオレオレ主義の固まった若手にどう伝えればいいものか・・・